食品業界では「食品衛生は手洗いに始まり、手洗いに終わる」という金言があります。どれだけ一生懸命に一般衛生管理やHACCPの強化を図っても、たった一人の「不十分な手洗い」が原因でノロウイルス食中毒などが発生することはあり得ます。そのため、食品業界の中には「数学では《100−1=99》だが、食品衛生では《100-1=0》になるリスクがある」と注意喚起する方もいるくらい、手洗いは衛生管理において重要な項目の一つです。
今回は、食品衛生における手洗いの重要性や、手洗いの効果確認としてのATPふき取り検査について考えてみましょう。
1.不十分な手洗いが原因で発生した食中毒
(1)パンによるノロウイルス食中毒
不十分な手洗いを原因とする食中毒は数多く報告されています。大きな転機となった事例の一つに、2003年1月に発生した学校給食の「ミニきな粉ねじりパン」によるノロウイルス食中毒の事例が挙げられます。この事例は、小中学校(16校)の児童生徒および教職員1,321人中661人が発症した大規模な食中毒です※1。
当時、ノロウイルス食中毒は、主に生あるいは加熱不十分な二枚貝(カキなど)を原因食品とする、冬場に発生が多い食中毒と考えられていました。しかし、この頃を境に、二枚貝などの「原材料汚染を原因とする食中毒」と、人の手指などを介した「二次汚染を原因とする食中毒」という2つの視点で対策を講じること、すなわちHACCPと一般衛生管理を《車の両輪》のように動かすことの重要性が強調されるようになってきました(図1参照)※2。
2014年には、学校給食で提供された食パンを原因食品として、患者数1,271人という大規模なノロウイルス食中毒が発生しました。この事例では、検品の際に食パン1枚1枚を手に取り、異物混入を確認する作業が行われていたことが、大量の食品の汚染につながったと考えられています。不十分な手洗いによる手袋の汚染、手袋交換の頻度が少なかったことによる汚染の拡大、作業着が不衛生であったことによる汚染などが複合的に影響いて、大規模な食中毒に発展したと推測されています※3。
図1 ノロウイルスの感染経路
出典元:食品安全委員会資料※2を元に改稿
経路1は原材料管理や加熱など工程管理(HACCP)での対応が可能ですが、経路2は従事者の健康管理や手洗いなど一般衛生管理での対応が重要なポイントとなります。
※1 文部科学省「学校給食調理場における手洗いマニュアル/4.手洗いが不十分であったために発生した食中毒事例」 https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/08/25/1257965_010.pdf
※2 国立感染症研究所「浜松市内におけるノロウイルス集団食中毒事例」、IASR Vol. 35p. 164-165: 2014年7月号 https://www.niid.go.jp/niid/ja/iasr-sp/2297-related-articles/related-articles-413/4798-dj4131.html
※3 内閣府 食品安全委員会 会議資料2「食品健康影響評価のためのリスクプロファイル ~ノロウイルス~」(2019年12月16日) https://www.fsc.go.jp/fsciis/meetingMaterial/show/kai20191216ik1
(2)刻み海苔によるノロウイルス食中毒
最近では、2017年に刻み海苔を原因食品とするノロウイルス食中毒が記憶に新しいのではないでしょうか。この事例では、ノロウイルスに感染した従事者が素手で刻み作業を行ったため、手指に付着していたノロウイルスが海苔を汚染したものと推察されています。この事例では、汚染した海苔を裁断する際に、裁断機もノロウイルスに汚染されて汚染が拡大したという推察もされています。
原因が究明された直後は「海苔のような水分活性の低い、乾燥した食品でも食中毒は起こり得る」という点に、多くの関係者が驚きました※4。しかし、過去にはミニきな粉ねじりパンや食パンのような事例も報告されています。私たちは、過去の教訓を“他山の石”として活用することができます。HACCPでは、過去の食中毒事例や、他社の事故事例、ヒヤリハット事例なども、ハザード分析の際に情報としてインプットして、自社のHACCPの検証や見直しに活かすことが大切です。
※4 国立医薬品食品衛生研究所報告 第135号「刻み海苔を介したノロウイルス食中毒事件が教えてくれたこと」(野田衛、2017年) http://www.nihs.go.jp/library/eikenhoukoku/2017/006-012.pdf
2.手洗いで洗い残しが生じやすい箇所
手洗いの目的は、手指に付着した病原微生物を食品につけないことです。手洗いのレベルについて、日本食品衛生協会などは「①日常手洗い」「②衛生的手洗い」「③手術時手洗い」という3段階の考え方を提唱しています。
手術時であれば、皮膚固有の常在細菌叢を除去するレベルの手洗いが求められますが、食品取扱い現場で求められるのは(手術時手洗いほどのレベルではなく)手指に一時的に付着した微生物(「通過細菌」などと表現されることもあります)を除去できるレベルの手洗いです(図2)※5。もし、食品取扱い者に手術時手洗い(皮膚に固有の常在細菌叢を除去するレベルの手洗い)を求めるのであれば、皮膚の表面が荒れたり、そこが微生物の住みかになってしまう可能性があるので、そうした点に対する配慮も必要となります。
手洗いで洗い残しが生じやすい箇所としては、指先や親指の付け根、爪と皮膚の間、爪と指の間(甘皮)、手や指のシワなどが知られています。手首や手の甲にも配慮が必要です(図3)※6。そうした箇所も確実に洗えるようにするには、手順をルールとして明確にしておくことが大切です。また、利き手でない方の手は動きにくいためか、利き手に洗い残しが生じる可能性があることも知られています。手を洗う時は、利き手をより入念に洗うように心がけましょう※7。手洗いでは「汚染に対する意識を高めるような教育」を行うことも大切です。
なお、日本食品衛生協会が推奨する「衛生的な手洗い」については、第93回ルミテスターセミナーにおいて、公益社団法人日本食品衛生協会の中村紀子先生が解説しています。ぜひ参考にしてください※8。
図2 手洗いレベルと汚れ、通過細菌、常在細菌との関係
出典元:文部科学省「学校給食調理場における手洗いマニュアル」※5を元に改稿
図3 手洗いで洗い残しが生じやすい箇所
出典元: 厚生労働省「手洗いで感染症予防」※6より抜粋
※5 文部科学省「学校給食調理場における手洗いマニュアル」参考資料 https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/08/25/1257965_011.pdf
※6 厚生労働省「手洗いで感染症予防」 https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000334134.pdf
※7 東京都福祉保健局 東京都多摩小平保健所「正しく手を洗っていますか?-洗い残しはここだ!-」 https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/tamakodaira/shokuhin/syokuhinntopiltukusu/tearai.html
※8 第93回ルミテスターセミナー 講演録 https://biochemifa.kikkoman.co.jp/download/?id=7&k=2
3.手洗い後の清浄度確認にATPふき取り検査が活躍
食中毒の発生事例のうち、手洗いや健康管理など《従事者》に起因する事例は数多く報告されています(図4)※9。前回、ご紹介したように、食中毒予防では、微生物制御のための3原則「つけない」「増やさない」「やっつける」が大切です。とりわけ「つけない」が徹底できていれば、かなりの確率で食中毒の発生リスクは低減できると考えられます※10。
手指の清浄度確認(手洗いの効果確認)にATPふき取り検査を活用している現場は多いです。清浄度が数値で「見える化」できるので、国や文化が違う人であっても、科学的・客観的に検査結果を理解できます。また、結果が数値として記録に残るので、例えば「部署ごとで手洗いの仕方にバラツキがないか?」「ときどき手洗いがおろそかになっている時期がないか?」といった確認も容易です。
ATPふき取り検査は現場の衛生管理レベルの向上だけでなく、衛生教育の面でも顕著な効果を発揮します。検査結果を後から有効活用できるよう、ATPふき取り検査の際は、先述のような“洗い残し”が生じやすい箇所もきちんとふき取るなど、「ふき取り方の手順」をルール化しておくこともお勧めします(図5)。
図4 ノロウイルス食中毒発生要因(平成27年、推定も含む)
出典元:「平成27年自治体からの詳報報告書より(n=57)」※9を元に改稿
図5 手指のATPふき取り検査の手順
※9 厚生労働省「平成27年食中毒発生状況(概要版)」 https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11121000-Iyakushokuhinkyoku-Soumuka/0000116565.pdf
※10 キッコーマンバイオケミファ株式会社ウェブサイト「クリーンネス通信」食中毒の発生状況を見てみよう!(part3) https://biochemifa.kikkoman.co.jp/kit/atp/article/article_detail_78/
おまけ① 〔参考資料〕コーデックス委員会が「手洗い」に関して求めていること
コーデックス委員会が作成した文書「食品衛生の一般原則」(原題:General Principles of Food Hygiene)は「第1章:適正衛生規範(GHP)」「第2章:HACCPシステムおよびその適用のためのガイドライン」の2章構成となっていますが、その第1章の「セクション6:個人衛生」において、下記のような記載があります。HACCPの基盤を為す《一般衛生管理》の中でも、手洗いは特に重要であることが伺われます。
おまけ② 手洗いにまつわる最近の話題
(1) 10月15日は「世界手洗いの日」
国連は2008年を「国際衛生年」(International Year of Sanitation)として制定しています。その2008年、ユニセフは公衆衛生などに関与する国際機関や大学、企業などと「石鹸を使った手洗いのための官民パートナーシップ」(Public Private Partnership for Handwashing)を構成し、毎年10月15日を「世界手洗いの日(Global Handwashing Day)」と制定しました。その日は、世界各地で手洗いに関するイベント等が実施され、手洗いに関する知識や意識の啓発に取り組まれています。
(2) 日本初、手洗いに関する条例を制定
千葉県浦安市は2021年12月20日の市議会において、議員発議による「浦安市市民の健康の維持及び増進を図るためのより良い手洗い環境づくりの推進に関する条例」を提案し、可決しました。条例では、手洗いに関する知識を市全体で共有することなど、「市の役割」「市民の協力」「学校等の役割」「事業者の協力」などを定めています。